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『曖昧』と『明白』その2

一方、『明白』な世界での出来事。


現在、我が家の三兄妹が揃って習っているのが水泳です。

末っ子の妊娠・出産のタイミングもあり、
長男がスイミングスクールの門をたたいたのは小一の春でした。
一般的にもやや遅いスタートですし、とりわけお世話になっているスクールが
図らずも有名なために周りのレベルが高く、
長男と同級生の子は既に4泳法習得してる子がそこそこいるという環境でした。
そんな中、3・4才の子達に混じって顔をつけるところからのスタートで恥ずかしい思いをし、
元々器用ではない長男は、同時に始めた弟に途中でクラスを抜かれる悔しさも味わいました。
そんな日々からはや2年、今は弟を引き離し、200メートル個人メドレーのタイムを縮めるのに勤しむまでになりました。

4泳法習得後にターンなどを習得し、
200個人メドレーの記録がある程度満たした段階で選手コースに移行します。
またその選手コースの中でも30秒毎にクラス分けがされてて、 
毎月の記録会での結果で昇級していくシステムです。
前記事とは全く違って、タイムという明白な力量で序列化される世界です。

もちろん、取り組んでいるからにはタイムを縮める事が大きな目標ですが、
意外にもその過程で学ぶ事が泳法以上にあるのです。
タイムという明白な物差しをもってして序列化されるわけですから、
自ずと優越感や劣等感も含めライバル心が湧きます。 
でも、それが見事なまでに心地よい濃度で漂っていて、
子供達を見ていると『俺もお前も頑張ろう❗』というアツいものが生まれています。
記録会においても、長男よりも遥かに速く泳ぐ友人が、 
自分のウォームアップの合間を縫って応援に駆けつけてくれたり、
長男より前組で泳いで思うようなタイムがでなかった子の親御さんが
長男を必死に応援してくれたり、、
正直私は長男のタイム云々よりも、そういった周りの人達の暖かさが嬉しくて、
この世界が好きになりました。


タイムや点数を競う世界、ギスギスしているのかな~
「人に負けたくない」とか必死で嫌だな~、と正直思っていました。
それこそ、親の勝手な考え方で、水泳は4泳法習得したら
やめてもいいと考えていました。
でも、何事もレベルが上がれば上がる程、血の滲む努力も必要で、 
その中でも報われない残酷な結果を味わう事もあって、、
その痛みや喜びを知っている人にとっては、
他者はライバルでもあり心から称えられれ戦友なんだなと思うのです。
そして、(長男はまだまだですが)
その域にいるからこそ見える景色があるという事がわかりました。
私は、自分自身が何事も中途半端で終わってきたので、
そういった世界を本当の意味で知らずにいました。
もうやめてもいいんじゃないかと考えてた私とは裏腹、予想外にヤル気を出して続けたいと言った長男のお陰で、
今初めて『頑張る』事の真の魅力を教えて貰った気がしています。


ちなみに、長男は先日の記録会で、30秒縮めて一つ昇級しました❗
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ただ、まだ下から数えた方が早いクラスで(笑)、
きっと水泳は人生の中で、幼少期の習い事の一つとしての位置付けで終わる事と思います。
でも、そこで得たもの(頑張ったこと・友達と励ましあったこと)は
きっと残っていくなと思うのです。 
その意味で、この2年は、単に泳ぎ方を学んだ時間でもなかったんだなと感じます。




『曖昧』も『明白』も、結局は、「人を思う」という事に始まって
「人を思う」事に繋がっていました。
私自身も、幼少期に音楽(ピアノ)もスイミングも習っていましたが、
この景色を見る事はありませんでした。
それは、環境等も起因しているとはいえ、
私自身が本当には頑張ってなかったからだと思います。
その時わからなかった(学び損ねた)事を、
うん十年たった今になって我が子を通して私自身も学びなおしてる、、
なんだか、やっぱりこの世の出来事は、
全て神の粋な仕業な気がしてならない今日この頃です(笑)

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『曖昧』と『明白』その1

子供たちの夏休みも終盤です。
夏休み中色々ありましたが、
振り返ると『曖昧』な世界と『明白』な世界におて、
各々にある種の達成がありました。


とある知人が認知症施設に入所しているのですが、
御家族が家族会に参加できないという事情があり、
そういった折には私の母が家族代理として参加させて貰っています。
この度の関西帰省中、その施設で家族会の夏祭りが催されるとの事で、
賑やかに盛り上げて欲しいとの施設のご要望もあり、
子供達を連れてお邪魔する事になっていました。
ただ、そこで振る舞われるお昼ご飯が子供は無料という事で、
さすがに家族ではない私達が無料で飲み食いするのは気が引けたため、
何かお礼ができないかと提案したところ、
子供達にバイオリン演奏を披露して欲しいという話になりました。

 「なかなかのもんぶっこまれたな。。」
と若干焦りましたが(笑)、
これはまたとない貴重な経験でもあります。
と同時に、「スイカ割りができる」というイベントに釣られる形で
息子達もノリノリだったので、お引き受けしました。

直前に通常レッスンの方の発表会があった為に練習時間が限られていたので、
それを加味した上で、入所のお年寄りや施設のスタッフの方々にも楽しんで頂けるようにとあれこれ考えて、以下の曲目にしました。


1、となりのトトロ(次男)
2、ふるさと(二重奏)
3、早春賦(以下長男)
4、花
5、荒城の月
6、川の流れのように
7、情熱大陸

最後にもう一度ふるさとの二重奏に合わせて、 
全員で合唱し終演としました。

20150825170348c2c.jpg


結果、大成功でした❗
演奏の質は、言うても素人の子供なので、 
お耳汚しも甚だしいのですが(笑)、
何よりも小さな子供がバイオリンを構えてるだけで
「癒される~」と声をかけて頂き、
なんなら出オチでした(笑)

何はともあれ、音楽の特番みたいな事言ってみますが、
音楽の力は凄いなと改めて実感しました。
知人は、もはやスプーンをどう使うかさえ認識できない程認知症が進行しているのですが、
ふるさとや荒城の月に合わせて自然と手拍子や歌詞が出てくる様子を目の当たりにしました。
実は、その知人のご子息二人が幼少の頃にバイオリンを習われており、
我が息子達が演奏する姿を見て、何か思い出すのではないかという
淡い期待も込めて引き受けた経緯もあります。
残念ながら、「思い出さへん」とおっしゃっていましたが、
私は息子達を微笑むようにかつ真剣に見つめる彼女の姿に、
きっと奥の奥の部分にはかつての記憶が残っているんじゃないかと感じました。

コンクール等で技量が点数化される事もしはしばありますが、
個人的には音楽を含めた芸術と呼ばれるものの真髄は、
感情の表現としての手段だと思っています。
なので、素晴らしい技量があってこその、、、というのは百も承知の上で、
技量や点数だけでは計れない何かが巻き起こるのもまたこの世界の大きな魅力なんだと思うのです。
感情が動かされるということや癒されるというのは、不可視なもので曖昧な世界ですが、
僅かばかりのほっこりとした空気みたいなのを作れたとすると、
これは本当に引き受けて良かったなと思いました。
そして子供達も、親が言葉で色々と教育する以上の何かを肌で感じてくれたような気がします。
小さいうちに、こんな経験をさせて貰えた事に親として感謝しかありません。

この先、子供達にとってバイオリンがどういう存在になるかはわかりませんが、
いずれにしても人を思いやる気持ちの側に寄り添ってバイオリンがあってくれるといいなと、
日々の練習で思いやりを忘れたような鬼と化す母が思ったりするのでした(笑)

ご褒美のスイカ割り⬇

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